車は駐車場にとめるのが基本

車を所有していますと、駐車場が必要となります。遠出をする時や、大きな買い物をする時には必要なものとなります。出かけた先には、必ずしも無料の駐車場があるとも限りません。時にはコインパーキングに駐車する必要がある事もあります。路上駐車をするのは、迷惑になります。必ず駐車場に車を停めます。交通ルールを守り、安全な社会を作りましょう。
電動スクーターは、充電器やバッテリーに充電した電気を動力として動くスクーターであり、原動付き自転車の電気版と考えて良いでしょう、過去に自転車に電動モーターを設置した輸入自転車が問題となりましたが、電動スクーターを運転するには当然のように免許が必要であり、ナンバープレートの取得やヘルメットの着用など原動付き自転車同様の準備をしなければいけません。
 ◇「『道化』としての私を考える」−−山梨大教育人間科学部付属中3年・小林彩子さん
 人間、失格。
 主人公の葉蔵はそう自らに下した。だが人間失格とは何なのか。私はこの本を通して人の生き方について考えた。
 第一の手記、恥の多い生涯を送ってきました。という葉蔵の視点から彼の人生は語られている。葉蔵は幼少の頃より人とは違う感覚を持っていることに苦悩し、人間に対する最後の求愛として「道化」を演じる。この「道化」は、本心を隠し、相手の顔色を伺う葉蔵なりの処世術であった。
 しかし、今日の社会において本心からものを言っている人はいるのか。近ごろの若者たちは周囲に合わせ本心を隠しているではないか。学校や会社、家庭で私たちは一つの嘘もなく真実を語っていることはないだろう。むしろ、生活の中で何気ない素振りで嘘をつき本心を出さない傾向さえあるように感じられる。
 私にもその傾向はある。例えば、他愛ない友人との会話の中である歌手の話になったとき、友人は「あの歌手嫌い。」と言い放った。私はその歌手のことは気に入っていたがその場の雰囲気を壊したくないばかりに「私も嫌い。」と返したことがある。仲の良い友人にも自分のすべてを話そうとはせず、本心ではないことを言ってしまう。またある時、クラスの話し合いの中で正しい意見を言った人がいた。しかしクラスの人たちの反応は冷たかった。私は正しい意見を言った人と同じことを考えていたが、結局言わなかった。それは自分が嫌われたくなかったからなのか、周囲の空気を読んだからなのかは自分でもはっきりしない。そもそも自分自身の心の底というものを本当に理解している人はいるのだろうか。それですら疑問だ。多くの人々はこれらのことに気付かず通り過ぎていってしまう。気付いても特に気にかけずに終わっている。
 しかし葉蔵は通り過ぎることができなかった。自らの心をはかりきれないことに悩み、ついには「道化」へとたどりつくのだ。道化者になることによって自分と他人の眼をごまかしていったのである。本心の知れないものへの恐怖。他人や世間、そして自分ですらその恐怖の対象だったのだ。
 こう考えると葉蔵は何か社会に適応できない狂人、廃人であるようにしか見えない。だが彼は実はとても純粋な人物だったと私は思う。小説の最後でバーのマダムは次のように言っている。
 「葉ちゃんは、…神様みたいないい子でした」
 私には神様、というより赤子のように感じられる。実際葉蔵は死ぬまで父となることはなく子のままであった。自分にとってなつかしくおそろしい父という存在が常に胸の内にあり、家族を持ち父としての役割を果たそうとはせず結局彼は子として生き、子として死んだのだ。それだから葉蔵は子のように、赤子のように純粋だった。ドロドロした人間の心に順応できず、醜悪にみえる人間の営みは純粋で邪気のない彼には耐えがたいものだったのだろう。常識的な社会感覚でいえば彼は堕ちぶれた狂人、廃人とされるであろう。だがそんな常識では彼の心の底ははかれない。彼の本心は常識、道徳このような言葉によって世間の人々にすぐに片付けられてしまう。なんの疑問も持たれずに。葉蔵はその常識にすみつけず人間界からはじき出されてしまった人なのである。
 では、人間失格とは本当に彼のことを言うのだろうか。胸の内の欲と恐怖に苦しみ、本心を隠し、最後には世間から遠くはなされて廃人の刻印を額に打たれる。このことこそが人間失格だというのか。「人間失格」であると自身に言った葉蔵は何を基準にし、また自分の本心を理解した上で言ったのだろうか。彼はやはり人間だったと、私は思う。彼の人生は彼の苦しみや悲しみや叫びが伝わってくる、とても人間らしいものだったからだ。
 それならば人間失格である人間とは何者なのか。お互いの不信の中で嘘をつくことができ、世間と同調し、常識や道徳に合わせていくことのできる人間が合格なのか。そうであるならば人間とはなんと不可解な生き物であるのだろう。人が人を完全に裁くことはできない。自己評価は徹底できない。だからこそ失格も合格もないのではないかと私は思う。
 私は今でも自らの生き方について考えたことなどなかった。大した目標も夢もなく漫然と日々を過ごしていた。だがこの本を通して自分の生き方について考えていくことができた。現代には私と同じように何も考えずに日々を過ごしている人が多いと思う。本心を隠し、「道化」を演じるのか、人を傷つけ世間と口裏を合わせていくのか、赤子のように純粋な魂を持つのか。私たちはどのようにして生きていくべきなのか。何を考えて生きていくのか。それが私たちに対しての葉蔵の問いかけであったように思う。
 読んだ本「人間失格」太宰治(角川書店)

3月8日朝刊

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